前回の写経は、阿波町の西光寺さんに行かせていただきました
今回は板野町にある田村先生のお教室におじゃましました
早藤が年初の書初めで、毎年UIの大筆書きをさせて頂いている
道場のような場所です
田村先生の写経は、ただ書き写したり、上からなぞったりはしません
お経の文字は、一つ一つが仏さまでありますから
奈良時代の高僧の書をしっかりと見て、線や点、その息づかいを味わうことをします
と、ここに田村先生から訂正をいただきました!
『天平写経を書したのは高僧でなく写経生(しゃきょうしょう)という官吏達です。今でいう公務員です。何故、この時期に写経が盛んになり、このような官吏を必要としたかと言えば、当時は聖武天皇の御代であって、仏教への信仰が篤かった聖武天皇は経典を大量に作る事で仏教を全国に広めたいとの思いを抱いていたのです。更に、ご存知のように聖武天皇は東大寺大仏殿を建立すると共に、仏教を全国に広める為、全国に国分寺を建てたのも同じ趣旨からです。
この時期の写経は天平写経と呼ばれますが、平城京の片隅にあった海龍王寺、別名、隅寺と呼ばれる所から当時の写経が大量に発見された事で別名『隅寺心経』と呼ばれています。そのうちの最高に良いとされる写経が皆さんに学んで頂いているものです。
長々と述べましたが、お越し下さった皆さんが興味をもって頂けた事は嬉しさの極みです。次回のお越しを楽しみにしております。』
ざっくりと話を聞いてしまっている自分を反省いたします(´ω`)
じっくりとみて、まず一字書くのですが
その線一本、点ひとつ書けなくて悶絶します
あっという間に3時間が過ぎていました。
日々、次から次へと急かされるような時間を過ごしがちですが、墨の匂いの中で時間がシーンと止まる
こんな時間を体感をすることが、とても大切に思うのであります
何か月ぶりでしたが・・・
筆を置いてから、先生が選りすぐりの拓本を開いて見せてくださいました
東大寺にある会津八一の歌碑
明治の歌人であり書家でもありました
この碑の拓本です
群馬県に存在する三つの石碑「上野三碑[こうずけさんぴ]」は、
古代(7~11
今年、ユネスコの世界記憶遺産に認定された石碑の拓本もみせてくださいました
しかし、素人には拓本から筆の運びや息づかいを感じ取ることはとても難しく
正直、その良さもよく”わからない”。。。
そんなふとどき者の発言に、先生はにこにこと
「見続けることです」と優しくおっしゃってくださいます
高村晄太郎の歌の拓本
ここは宝の山
一冊の本、その中の一行に
一枚の書、その一文字に
ふかいふかい意味が込められていることを想像すると
一日ここで時間を忘れて探検したい気持ちになります
次の写経レッスンはまたしばらく先になりそうですが
興味のある方はご一緒しましょうね